退職届を出してきた。

退職届を出してきて喫茶店でぼーっとしています。

厳密に言えば3月末で全て引き継いで、現在有給消化中、まだ籍はあるって状態です(ただ保険証返してきたから、病気はできねえ)。

久しぶりの支店は皆忙しそうながらも「おー!」「元気ですか?」「手土産は?伊勢丹行ってこいよ」等々温かく迎えてくれて、前期より雰囲気の良い環境で仕事をしているようでした。

前職は皆、①トラブル ②懲戒解雇 ③もう無理 ④寿退社(③の理由も含む)のいずれかで去っていったので、円満退社ロールモデルになれたのかなと思います。

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「一生仕事したくない」「一生遊んで暮らしたい」ってよく言いますよね。実際今その状況を疑似体験してて思うのが「暇も飽きる」ってことです。

今週カスエンジンを最速でドライブさせたらどうなるのか、と検証してみました。本能のままに行動する、行動に制限を設けないまま生活するということです。

すると、自分の行動ベースで一番楽なのは

・午後に起きる

・ご飯は面倒なので夜に一度食べる

・常に音楽かラジオを流しながらネット(主にyoutubeを見る、記事を読む)をする

という割りと想像通りのものでした。

その中でも多少の理性は働いて、転職エージェントにメールを返す、純文学を読む、くらいはすることができました。

 

ただ、思考ベースでいうと、「早く夜になんねえかなあ」と考えることに驚きました。時間に制限が無く、消費したいコンテンツや行動欲まで無くなると、結局時間が過ぎることが最小にして最大の生きる意味になるのかなと思います。

 

あと思考実験として「今自分は定年退職した65歳だ」と思い込むことも試しました。

1日1日がただ過ぎていってミニマムに生活を浪費する。悪くはないのですが、やはり刺激がなく腐っていく実感がジワジワ心身に浸透していきます。ただ、まだ身体が20代で健康なので本質的な絶望は40年後にしか味わえないと思います。

また、老人の孤独死問題にあるように、他者との対話の重要性も感じました。社会との関わりがない状況下では、人と話してる時に最も生を認識できます。思考のアウトプットとフィードバックが自己を形成するとはよく言ったものですね。今は無職の友人と同棲していることと、まだ都内に兄弟、友人がいるという安心感でなんとか自己を保っていますが、まじの独りを想像した時に胸がキュッとなり孤独が全身を覆いました。

 

無職のススメではないですが、「仕事したくねえ」って思った方は一度仕事を辞める選択もありだと思います。

辞めてしまうと、胸ポケットの社用携帯が鳴ることはありませんし、社会から急かされることもない。前職の上司からは「やりたいことがないなら働きながら探せよ」とよく言われましたが、その上司も新卒で前職に入社した29歳で、無職経験無しです。無職になり、タスクや社内・クライアントからの追いがなくなった時に初めて「あれ、俺自由じゃね?」と思うのであり、「俺本当は何したいのかな?」と立ち止まって考えられます。少なくとも自分は今そうです。敢えて無職に身を置くことで研ぎ澄まされる思考はあります。

結果、現時点では予想より「自己研鑽して早く社会・会社に寄与したい!」という考えも少なく、かといって「このまま一生こうしていてえ」とも思わず、明確な答えは出てないんですけどね。

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ともあれ、日本の雇用・転職慣習上、まとまった休みをとることは困難だし、可能だとすれば履歴書の致命傷にならない20代かなと思うので、「仕事したくねえ」といったブログをお読みの友人方は一度辞めて好き放題暮らすこともありだと思います。ご参考までに。

さて、取り敢えず明日の面接対策でもします。